中国が5年で「EV先進国」に。中島聡が予測する自動車業界の未来(2017/12/27)
記事では、これから3~5年ぐらいで自動車業界に起こるであろう近未来とさらにその先の未来を、「EVシフト」「自動運転」を中心に描いておられます。
この中でEVシフトの一番の課題として、リチウムイオン電池をあげておられますが、そのリチウムイオン電池生みの親のインタビューを載せたのが以下の記事です。
EV普及による変化を見据えよ-リチウムイオン電池生みの親の吉野氏(2017/12/27)
この記事で印象的なのは、『将来、無人自動運転が普及すれば、カーシェアリングが広がり、「世の中にマイカーはなくなり、片道の走行距離は300キロ走れば十分」な状況になる』という指摘です。シェアするようになると1台あたりの電気自動車が長い『距離を走ることになり(電池の)耐久性が重要になる』【()内はこのブログで加筆】というところです。(以下、適宜加筆しています)
長距離運転をするにしても個人所有の車であれば、経路上での急速充電や過去何度も検討されてきたバッテリー交換といった電気を補充する手間がいりますが、「無人」自動運転のカーシェアリングであれば、あらかじめ200キロ先の休憩する高速道路SAなどに配車を依頼しておけば、そこまで乗ってきた車から別の車に荷物を載せ換えるだけで充電する必要はなくなります。無人になった車はシェアリング専用の駐車場へ自動運転で戻り、無線方式で再充電されるでしょう。
もっと想像を膨らませれば、東京から大阪へと目的地を告げた時点で、AIが地形データと配車された電気自動車の電池残量を考慮して、乗り継ぐ車を適切なSAなどに事前に用意してくれるでしょう。そして、こうした運行が可能になると、経路上の「急速充電器」は不要になりますから、「充電に30分」ばかりか「充電待ち」も過去の言葉になるかもしれません。
現在は、何かというと電気自動車の欠点の一つとして、短い走行距離も問題にされ、自動車メーカーも電池メーカーもその高性能化に躍起になっていますが、「300キロ走れば十分」となれば、今ある電池性能でも問題がないことになり、課題はその低価格化と劣化しにくい高耐久性へと移ることになります。
そうなると、流行りのように盛んに取り上げられる「全固体電池」も「低価格」「高耐久性」という課題を乗り越えなければ、シェアリングの時代には生き残ることができないということになります。全固体電池の開発に時間がかかれば、その間にリチウムイオン電池の価格がその差を取り戻せないぐらい下がるかもしれず、その場合、全固体電池はデビューすることさえできないかもしれません。
将来は、電気自動車と自動運転が有望だと言われていますが、未来予想図でいうところのイギリスやフランスでガソリン車などの販売が禁止される今から22年後の2040年というと、日本では超高齢化社会になり、人口の減少にともなって税収も減り、道路や橋といったインフラの修理も追いつかなくなる中で、自動車自体のありようはどうなってゆくのでしょう。
ちなみに2040年には24歳になる2016年生まれの子は約98万人で、昨年に約131万人亡くなっていますから、1年間で約33万人も減っています。この人数は、沖縄県那覇市規模の都市が一つ消えてなくなったのと同じです。
そういった社会環境の中で、カーシェアリングが広がりマイカーといった概念もなくなり、自動車の販売数も何分の一かに減れば、はたして今の自動車メーカーや自動車産業自体が生き残ることができるのでしょうか、これからは先の吉野氏が言うところの「社会の変化を見据えた技術開発」がますます必要となるのでしょう。
近未来では、電気自動車を取り巻く環境がどのようなものになるのか楽しみでもありますが、「社会の変化を見据えた」とは思えない水素スタンドにかける政策を見ると不安でもあります。(電気を貯める素材としての『水素』には期待しますが)
今年1年、電気自動車ニュースをご覧いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
(【FORZA STYLE】 メルセデス・ベンツが描く未来のクルマとは?)
記事では、これから3~5年ぐらいで自動車業界に起こるであろう近未来とさらにその先の未来を、「EVシフト」「自動運転」を中心に描いておられます。
この中でEVシフトの一番の課題として、リチウムイオン電池をあげておられますが、そのリチウムイオン電池生みの親のインタビューを載せたのが以下の記事です。
EV普及による変化を見据えよ-リチウムイオン電池生みの親の吉野氏(2017/12/27)
この記事で印象的なのは、『将来、無人自動運転が普及すれば、カーシェアリングが広がり、「世の中にマイカーはなくなり、片道の走行距離は300キロ走れば十分」な状況になる』という指摘です。シェアするようになると1台あたりの電気自動車が長い『距離を走ることになり(電池の)耐久性が重要になる』【()内はこのブログで加筆】というところです。(以下、適宜加筆しています)
長距離運転をするにしても個人所有の車であれば、経路上での急速充電や過去何度も検討されてきたバッテリー交換といった電気を補充する手間がいりますが、「無人」自動運転のカーシェアリングであれば、あらかじめ200キロ先の休憩する高速道路SAなどに配車を依頼しておけば、そこまで乗ってきた車から別の車に荷物を載せ換えるだけで充電する必要はなくなります。無人になった車はシェアリング専用の駐車場へ自動運転で戻り、無線方式で再充電されるでしょう。
もっと想像を膨らませれば、東京から大阪へと目的地を告げた時点で、AIが地形データと配車された電気自動車の電池残量を考慮して、乗り継ぐ車を適切なSAなどに事前に用意してくれるでしょう。そして、こうした運行が可能になると、経路上の「急速充電器」は不要になりますから、「充電に30分」ばかりか「充電待ち」も過去の言葉になるかもしれません。
現在は、何かというと電気自動車の欠点の一つとして、短い走行距離も問題にされ、自動車メーカーも電池メーカーもその高性能化に躍起になっていますが、「300キロ走れば十分」となれば、今ある電池性能でも問題がないことになり、課題はその低価格化と劣化しにくい高耐久性へと移ることになります。
そうなると、流行りのように盛んに取り上げられる「全固体電池」も「低価格」「高耐久性」という課題を乗り越えなければ、シェアリングの時代には生き残ることができないということになります。全固体電池の開発に時間がかかれば、その間にリチウムイオン電池の価格がその差を取り戻せないぐらい下がるかもしれず、その場合、全固体電池はデビューすることさえできないかもしれません。
将来は、電気自動車と自動運転が有望だと言われていますが、未来予想図でいうところのイギリスやフランスでガソリン車などの販売が禁止される今から22年後の2040年というと、日本では超高齢化社会になり、人口の減少にともなって税収も減り、道路や橋といったインフラの修理も追いつかなくなる中で、自動車自体のありようはどうなってゆくのでしょう。
ちなみに2040年には24歳になる2016年生まれの子は約98万人で、昨年に約131万人亡くなっていますから、1年間で約33万人も減っています。この人数は、沖縄県那覇市規模の都市が一つ消えてなくなったのと同じです。
そういった社会環境の中で、カーシェアリングが広がりマイカーといった概念もなくなり、自動車の販売数も何分の一かに減れば、はたして今の自動車メーカーや自動車産業自体が生き残ることができるのでしょうか、これからは先の吉野氏が言うところの「社会の変化を見据えた技術開発」がますます必要となるのでしょう。
近未来では、電気自動車を取り巻く環境がどのようなものになるのか楽しみでもありますが、「社会の変化を見据えた」とは思えない水素スタンドにかける政策を見ると不安でもあります。(電気を貯める素材としての『水素』には期待しますが)
今年1年、電気自動車ニュースをご覧いただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。
(【FORZA STYLE】 メルセデス・ベンツが描く未来のクルマとは?)
コメント
コメント一覧 (4)
ECUエラーに始まり走行中に電源が遮断されるという状態、昨日は峠越えでバッテリーメーターは右へ振り切っているのに速度が落ちていく
。挙げ句バッテリーの大量消費となり、危うく山中で電欠で立ち往生するところでした。
流石に身の危険を感じましたので、乗るのは止めて車両の交換交渉をする予定にしました。
という事で、昨日が(今年の?)乗り納めとなりました。
いろいろ有りすぎて、(楽しかった)電動ライフ。可能性は充分実感しましたから
これで最後ではなく、リセットしようと思います。
さて中華EV、バイクの時のようなとんでもない品質で自滅しないかと
冷めた目で見ています。
(Webマスター:ときにはリセットも一つの方法ですね^_^;
バッテリー品質の問題からか発火事故も起こしていますから、冷静な目も必要ですね)
将来的にはナトリウムイオン電池ではと思ってます。
(Webマスター:2015年にナトリウムイオン電池はコスト3割安といわれていました。
http://evnews.blog.jp/archives/13746481.html
これからかもしれませんね。
BYDでは「リン酸鉄リチウムイオン電池」を採用しているそうですから、これから模索されていくことでしょう)
くどいですが、量から質への転換は、今では当たり前と言えばそうかもしれませんが、この弁証法の考え方をうちたてのはヘーゲルです。
最もヘーゲルだけがこのような理論を編み出した訳ではなく、ギリシャ時代のアリストテレスが当初のような記述もあったような。
兎に角、弁証法の考え方は、今も受け継がれていて面白いと感じている大晦日です。
我思う、ゆえに我存在する、はデカルトの言葉。本当に言ったかどうかは知りませんが、今は、我あり、ゆえに我思うでしょう。
時代背景があるので説明ができませんが、その後、実存主義がサルトルを頂点にして、今も新たな哲学があるのだろうけど、余り表に見えて来ません。
どうも、実存主義が最後のようです。
ただ、
質から量への転化が起きるのであれば、ますます磨きがかかります。
そこで、話をEV に戻すと、益々深化していくのでしょうね。
EV 元年は今から10年程昔です。
だから、今はその成熟期ですね。
段々と深化というか、深化していくのでしょうね。
雑文で申し訳ありませんが、今年18年の大晦日にかようなことが言えて気が楽になりました❗
良いお年をお迎えください❗
来年は、EV にとって飛躍の年になるのでしょうね。
ワンコインでなく、ワンワンの年になるのでしょうね。
有難うございました❗
失礼します。
呼び名だけでは無く、品質管理も変えて欲しいですね。
(Webマスター:日本のもの作りも危うくなってきていますから、しっかりがんばってほしいです)
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